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美しい生物

 高校生の頃だったか、学校のキャンプで一晩泊まった翌朝のこと。
コテージを出ると、すぐそばの建物の板壁に、蛾が1匹とまっていた。

山繭の仲間だろうか。見事に大きな蛾だった。片方の羽が私の片手のひらくらい。羽を広げてとまっている大きさは、私の両手のひらを横に並べてくっつけたくらいあった。
 大きな目玉模様と、複雑な模様。
「うわあ、きれいだなあ。」
その蛾を目にした私の口からは、こんな言葉が洩れた。
それを聞いた友達が蛾の方に目をやり、
「なんだ、蛾じゃない~気持ち悪いよ、蛾なんて。」と、即座に却下した。

 その時思った。相手が蛾だろうとなんだろうと、その場で美しいと思ったものは美しいと言える人間になろう。ちょっと大袈裟だけど、そう思った。


 さて。みみずを飼っている話を人にすると、「気持ち悪い」という反応と共に、少なからず「汚い」という反応が返ってくることがある。珍しくも何ともないので、言われてもどうと言うことはないのだけど、「醜い」と「不潔」を混同している人が多いとは思う。
 トイレは水洗化されたし、生ゴミを自宅で処理することも稀になったし、私たちが「アンダーグラウンド生物」を目にする機会が昔に比べてずいぶん減ったと思う。(私も多分「ぼっとん便所」を実際に使った最後の世代だろう)

 中学あたりの生物の授業で習うんじゃないかと思うんだけど、生物は「生産者」と「消費者」「分解者」に大別される。自分で自分の使う栄養分を作り出せる植物などが「生産者」、それを食べる動物が「消費者」、そして死んだ生物を土に返すのが「分解者」分解者によって作り出された有機物は、植物に吸い上げられて、また食物連鎖に取りこまれていく。
 個体の数の上では、地球上の分解者の数は他の比ではない…という話を、昔、授業で聞いた。

 そんなにたくさんいるはずなのに、私たちの視界から、いつのまにか分解者―アンダーグラウンド生物 が、いなくなってしまった。時折目にする彼らは、いつも少なからず「不潔」と結びついている。腐敗した食物や動物の糞、堆肥など、臭くて汚い(堆肥はちょっと違うかな)ものに彼らは住み着く。そして彼ら自身の姿も、人間の価値観では醜いと言われる。汚い虫、と忌み嫌われて、彼らを殺す薬が売れる。

 私はみみずを飼い始めて、美醜の価値観が少し変った。みみずの仕事を毎日見ていたら、分解者の仕事がたまらなく貴く思えるようになってきた。
みみずとみみず箱に棲むたくさんのアンダーグラウンド生物たち。彼らは、ひたすらゴミ(と私が呼ぶもの)を食べる。そして土に返す。
 生きるものは、みんな土に帰るんだ。
 これらの小さな生き物の手で、土に帰るんだ。
その様子は、私の目には「美しい」と映った。私はみみずを「美しい生物」だと思った。勿論他の分解者たちも。

 腐敗したものの中に棲む生物(みみずは違う)は、そこに腐敗したものがあるからいるのであって、彼らがいるから腐敗するのではない。彼らがいるところを人間が不潔だと思うのであって、彼らがいるから不潔になるのではない。

彼らがいなければ、私たちの誰一人として、生きていくことはできないだろう。

 もし天地創造主たる神、というのが存在するとしたら、人間の浅はかさを見越してみみずを造られたのだと思う。
浅はかな人間が彼らの営みを邪魔しないように、人から見て醜い姿を、みみずに与え給うたのではないかと思う。
 

 



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